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規則的に訪れる不規則な季節

轟音を立てる風の勢いにびびっている私に、ヨット操縦歴の長いその方は仰った。

「こういう時の風はね、かたまりで吹いてくるんですよ。呼吸するみたいにね。」と。
普段から、「人間は自然の一部である。」だとか「自然災害は人間にとっては災いだが自然にとっては営みのひとつなのだ。」など、いけしゃあしゃあと言っているくせに、その言葉をきいて、「ああ、自然って生き物なんだなぁ」と改めて感動してしまった。
 あほや。
今年は季節の変わり方も、それぞれの季節も本当に極端で、気持ちは普通だったり、頑張ろうと思うのだけれども、身体の方がついて行かないという方が本当に多いと思う。
 亡くなられた方もおられる。
去年とも一昨年ともその前とも、ずっとずっと前ともちがう今年の四季。
 いや毎年違うんだけど。
 だから同じではない。つまり不規則。しかし、毎年同じように四季はめぐる。規則的に。
規則的に、不規則な四季は訪れる。
人間も同じ。
自然という構造の中で 規則的に下降曲線を生きる。その中で浮き沈みする。上がったり下がったり、良かったり悪かったりを繰りを返しながら消耗していく。消耗していく過程の中で生殖をし、子孫を残し命を繋いでいく。
親の姿をみて、子は育ち、真似をする。大人の姿を見て、真似をする。お手本を見て、真似をする。コピーが繰り返される。コピーの仕方は人それぞれ。
東洋医学は経験医学だと仰る方は多い。確かに長い年月を積み重ねてきた経験がある。しかし、その大元には理論があった。理論があり、それを実行し経験を積み重ねてきた。
「気血がめぐり体を養う」なんて「気がめぐるから血もめぐる」なんて「人は陽から陰へ傾いていく」なんて、言葉で知ってはいてもよくわからない。
しかし、人が亡くなりつつある時はじめてわかる。
皮膚にはりがなくなってくる。衛気のはたらきも弱くなり気が漏れ、汗が漏れ出、体は冷たくなっていく。冷えてはいけないと、かけたタオルの重みさえ跳ね返せず、タオルの繊維の痕がしっかりと皮膚にのこる。
それをみて「ああ、気がめぐるから血も巡っているんだ。そして身を養っているんだ。だから気がめぐるということは、皮膚にはりやツヤが出るということだったり、色が明るくなるということなのか」と、おろおろする中で、知っている言葉の使われている意味が腹におちる。
沈んでいた脈は浮いてくる。消耗すると脈ははやくなる。沈んで強くなった脈は、徐々に浮いてくる。強かった脈は弱くなっていく。そして小さな球のようなものが指にあたる。
 読んでいた文字が現実になる。それらが積み重ねられていく。
はじめに言葉があった。言葉が全てであった。
わかっているつもりになって使っている言葉は沢山ある。
わかっているつもりでいるから、誤解や勘違いは沢山生まれるのだろう。
うーん。気をつけよう。
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