「見えるもの」から見る「見えないもの」
東洋医学(中国医学)を学び続けるのは、それらの奥深さはもちろんのこと、
様々なものを包括する「やさしさ」とも呼べるような部分に惹かれ続けているのではないだろうか。
付き合いの長い知人に言わせれば、
「テルミーの良さは、テルミーにムカついてからしか見えない。」らしいのだが、
それはさておき、
とりあえず極端な自分の性格に、自分自身で長いこと辟易していた私を「それもよし」とある意味「ゆるし」てくれたのは東洋医学の考え方だった。
「偏らない人間はいない。」ただそのワンセンテンスが、私を息苦しさから解放してくれた。
東洋医学では「陰陽」という概念がどこまでどこまでもついてまわる。
物事を「陰陽」というカテゴリで分けるが、陰の中には陽があり、陽の中には陰がある。
一つのものの中に、相反するものが共存する。
相反するものを抱えながら、その時々で表面に表すものを変えながら生きている。
物事を一つの面だけでとらえてはいけない。
見えるものだけを見るのではない。
言っていることだけを聴くのではない。
見せていないものは何か?
言っていないことは何か?
それらのほうがずっと大事だ。
ただ、現代人は忙しくて、そこまで見たり、聴いたり、考える余裕はないのかもしれない。