「知らなかった時」を思い出してみたら良い。
湯治の帰りに、「別府重度障害者センター」に入所している、父のいとこに逢いに立ち寄った。
昨年の冬、夜中に階段から足を滑らせ、第3,4,5頸椎を損傷した。
殆どの情報を聴いていなかったので、怪我後のおじさんに直接お会いするのは初めて。
寝たきりなのか、車椅子なのか、なんなのか。
全く想像がつかなかった。
職員の方に案内していただき、面会室中へ入る。
「やあ」と歩きながら現れたのは、筋肉の落ちたひょろっと痩せたおじさん。
全く動けなかったおじさん。
はじめに動かない(動けない)身体になった後、あっという間に筋肉は落ちていったそうだ。
「出来ていた」ことが「出来なくなる」情けなさ。
「出来なくなった」ことを「出来るように」なるため、失った感覚をとり返す訓練の繰り返し。
当たり前を失った人間には、
大きく分けて、
立ち上がれるタイプと、立ち上がれないタイプがある。
前の見えない、見えるかどうかわからない訓練を
継続できるひとと、出来ない人がある。
この違いは何であろうか。
肢体不自由であろうがなんだろうが、社会復帰を第一の目標に掲げるこの施設。
結構、いや、とても厳しいようだ。
車椅子バスケの漫画『リアル』を思い出した。