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現役であるという事は、求められて消費され続ける存在である

ある作家の作品に関するインタビューを何気なく聞いていた。

「現役であるという事は、求められて消費され続ける存在である」といった旨の話が耳に残った。

確かに「求められる」「期待を寄せられる」という事は、嬉しいことである。
ただし、しんどい事でもあるかもしれない。
しかも、それらに応える事が出来ている間はいい。
もし、応える事が出来なくなってしまった時にはどうなるのだろうか。

また、消費されし尽くされてしまったとしたら、その時、ひとはどうなってしまうのだろうか。

「現役」とは、様々な人の、様々な状況に当てはめる事ができる。
それぞれの職業だったり、役職、役割だったり。
「現役である」という事が、「 求められて消費される存在」であるのならば、その「現役」という役割を退いた「現役ではない」ものは「消費された」抜け殻と言えるのかもしれない。
しかし、「求められて」それらに「応え続ける」という事は、「受け身であり続けている」とも言えないだろうか。
自分で「やっている」ようで「やらされている」ような。

受け身で居続ける事は、非常に疲れる事だと思う。

出来れば、能動的に生きていく事を選択した方が、人生の充実度は高いのではないだろうか。

などとぼんやり考えてみる。

肺虚タイプより、肝虚タイプの方が生き生きしてる感あるしなぁ。

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