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「信ずるものは救われる」という命題について考える。①

今の世の中は、何が本当で何が嘘なのかわからないと言う人がある。
そういえば「嘘もつき続ければ本当になる」と言う人もある。
とは言え、実のところ「嘘」も「本当」というのも、人それぞれなのである。
ある人には「嘘」であり、ある人には「本当」なのである。
芥川龍之介の小説『藪の中』では、ひとつの事件に対し、人によって話すことが全く異なるという表現がなされている。(http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/179_15255.html
真相は誰にもわからない。
世の中が混乱すればするほど、何が本当なのかわからなくなる。
混乱した世の中といえば、戦国時代が頭に浮かぶ。
小説『徳川家康』(山岡荘八・著)のなかで、織田信長が、まだ藤吉郎という名の頃の豊臣秀吉にかける言葉が印象的だ。
「愛されもするが憎まれもする。今日から人に愛されようと思うな。」
(中略)
「人に愛されようとして自分を見失う奴ならば、この世に箒で掃くほどある。」
(中略)
「他人には憎まれるが馬にはなつかれる。その心でやっていくのだ。馬はまっすぐだが、今の世の人間どもは歪んでいるわ。」

人はなぜ歪むのか。

それは、自分を見失うからだ。

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