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熊本活動報告(提出分2)

【なぜ参加しようと思ったのか】

今回の震災で崩落した阿蘇大橋は、宮崎県高千穂町にある私の実家から1時間ほどの所だった。「赤い橋が落ちた」と聞いた時は、信じられなかった。また、自分自身もひとりで大分にいて(被災地の方々に比べたら大変失礼だが・・・)大きな揺れを体験し、この揺れがいつまで続くのか、この先何が起こるのか、1人で漠然とした不安と恐怖を感じていた。熊本が大変な事になっていて、SNS等では連日多くの情報が飛び交っていて、「自分も何かしなくては」と思うものの、だけどひとりではどうしたら良いのかわからず、ただ焦るようなもどかしいような気持ちを抱えつつも、答えは出せずに悶々としていた。

そんな時に、たまたま「あはきワールド」というメールマガジンに、「鍼灸ボランティア」のメンバーを募る広告がでており、咄嗟に参加の電話をかけた。それがきっかけだった。

1回目の参加の際は、関西の先生が呼びかけを、3回目に参加したボランティアは、関東の先生が呼びかけをなさっていたので、九州で起こっている震災に九州の人間が行かなくてどうするのだという気持ちも勿論あったが、それとともに自分自身が不安で、何かしなくては自分を保っていられないという、弱さから生まれた気持ちもあった。また、あの橋が無くなってしまったのは本当なのか、熊本はどうなっているのか、自分の目で確かめたかった。

【新たな発見】

私の生まれ育った地域も、医療過疎地域である。今回、特に3回目に参加した西原村・南阿蘇村もそのような地域にあたると思った。田舎の方によくみられる、術後、長いスパンでのケア等の考慮もなく、やたら大手術を受けては放置しているようにとれる状況にも思えた。これは、地方に住むわたくしたちにとっての1つの課題だと感じた。

今回の震災で、被災地の避難所には、様々な医療機関や自治体から、避難者への手厚いメディカルチェックが入っていたが、これらが撤退していった時、どうなってしまうのだろうと思った。しかし、この点においては、AMDAや災プロの理念やそのきめ細やかな配慮の行き届いた活動を拝見し、このような団体が存在することにただただ感服した。

【普段は感じなかったが、行ってから感じた事】

テレビやPC等のディスプレイを通してみていた被災地と呼ばれる場所は、どこか遠い別世界の事のように思えていた。実際に、避難所へ入らせていただき、段ボールで区切られた空間を目の当たりにし、「これは現実なんだ」という認識をした。そして実際のところ、何を話しかけたらよいのかわからず、どう接して良いかわからず、しばらく立ちすくんでいた。

震災という1つの現象によって、今まで見ないふりをしていた様々な社会問題が顕在化したように、つまりむきだしになったように思えた。繋がりを持たない、もしくは持てない人は、社会という構造から取りこぼされていく。震災のような、一見不幸事に見える出来事から繋がりを取り戻せることもある様に思えるが、それ以前に、平常と呼ばれる時期に何か出来ることはないだろうか。例えば、昔の家庭においては、家族でお灸をすえるという事が日常的にみられた。そこから会話なり生まれたであろうし、後の思い出ともなる。お灸などは現代においても、人と人とのコミュニケーションツールとなり得るのではないだろうか。

【定期的に行こうと思っているのか】

7月いっぱいまで、災プロが活動予定ということなので、また時間を作り参加したいと考えている。

震災が起きた当初は、可能な限り鍼灸ボランティアへ参加したいと思っていた。しかし、5月末に震災後、実家である宮崎県高千穂町に帰省した折、今回の震災による被害が地元においても出ている事を目の当たりにした。特に観光業への影響も深刻であったこともあり、もっと長いスパンで復興への支援を考えたときに、ただ自分がボランティアで被災地へ行って帰ってくるだけでは、個人の力では足りないと思った。また、他の被災地においてもみられたように、意識や関心の度合いは低下することが予想される。それらをふまえ、どれだけ地域支援に役立てるのかわからないが、「九州の自然」と「東洋医学/予防医学」とITをコラボレショーンさせたプロジェクトをこの夏立ち上げる予定である。

眞名井鍼灸研究所 河内輝美

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