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「認知症は精神の死である」

「認知症は精神の死である」

故・井上雅文先生が仰っていたという。

容れ物である身体、つまり「精」、

形だけがのこり、容れ物の中身である「神」が失われてしまった状態をいう。

思い出も何もかも失い、形は同じ物であるのにその人ではない、その身体の持ち主を前にすると、人はその事実をなかなか受け入れる事が出来ない。

正直、私も自信はない。

「自分」を作った「親」という大きな存在が壊れていく事を認められる自信はない。

おそらくそうなってしまったとしても、納得することは出来ないだろう。

だから、それを未然に防ぐために、私は親に鍼をする。

鍼、即ち経絡治療をするということは、失われていく「神」を補うことでもある。

この世から居なくなってしまう時が来るまで、「親」のままでいて欲しいから。

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