「不安」という名の安全装置
「不安なんです。」
「不安感を感じるんです。」
よく聞くフレーズである。
だから自分がいけないとか、自分はどこか悪いのだろうか、自分はおかしいのだと思う、等々。
それに対して私が答えることはだいたいいつも同じ。
「どうして不安だとダメなんですか?」
そして伝える解決策の提案もだいたい同じ。
「その不安を紙に書き出すなりなんなりして、一度自分の頭の中から出して、外側から見てみましょう。」
「客観視しましょう。」
「他人事みたいにしてみましょう。」
「自分の頭の中でぐるぐる回していても埒があきません。」
「自分から引き離してみましょう。」等々。
そして、人はここから2パターンに分かれるようだ。
「不安」は悪いものではない。
「不安」は見えない、わからないものに対する「こわさ」からむくむくと生じてくる。
だからその「不安」が何なのか、突き詰めてみる。
自分に都合の悪いものだったりする。だけどみる。
一時的に逃げることはいくらでも出来る。
見ない振りもいくらでも出来る。
しかし、逃げ続ける限り、いつまでも消えない。
「不安」は、私は安全装置だと思う。生きる「ちえ」だと思う。
不自然に前向きに生きることも可能だが、それは疲れる。
根拠のない自信は、ときには必要だが、考え無しでいいというわけではないと思う。