先天の精と後天の精
東洋医学でよく耳にする言葉に「先天の精」と「後天の精」というものがある。
「先天の精」は蝋燭などに、「後天の精」は切り花などに例えられる事が多い。
「先天の精」がなぜ蝋燭に例えられるのかというと、まずはおおよその容積が決まっていて、それをじりじりと燃やしながら生きながらえている事。
そして蝋燭が燃え尽きた時が「死」を迎える時という姿をイメージしたものと重なったのかもしれない。
これは、持って生まれたものであり個人差がある。
蝋燭も長いものから短いもの、太いものから細いものまでいろいろ有る。
「後天の精」が切り花に例えられるのは、栄養を貯蔵することが出来ず、継ぎ足さなくてはならないからではないだろうか。
空気と栄養を補給していかなければ、人間は生きていけない。