熊本の報告①~西原村、南阿蘇~
「雨が降ったら大変なことになる。」
「酷いことが起こる。」
熊本県阿蘇郡西原村のおじいさんは仰った。
2016年4月14日から続けざまに起こった地震の後、5月1日~15日までの間、3週にわたり、延べ7日間、鍼灸ボランティアとして熊本に入ってきた。
被災地と呼ばれるところへ足を踏み入れるのは、36年生きていてはじめてのことだった。
1回目は、5/1~3の3日間、阪神と東北の震災の際に、鍼灸ボランティアとして活動された大阪の先生が中心となって立ち上げた「チームオレンジ」に参加させていただき、東区と御船町へ入った。
2回目は、5/7~8の2日間、「特定非営利活動法人AMDA」の活動に参加させていただき、益城町へ入った。
3回目は、「災害鍼灸マッサージプロジェクト」という、東北の震災から、その後様々な被災地で活動を行っておられるチームに参加させていただき、西原村、南阿蘇へ入った。
1回目の参加で虚しさを覚え、2回目で希望を垣間みて、そして3回目で絶望とその先にある復興を願った。
外野が何勝手なことを言っているのだ。と、腹立たしく思う方もおられると思う。
つまらない人間が勝手なことを言っている。と、「あほな人間の考え方」として流していただければと思う。
14日朝、早めに現地入りして、活動場所の周辺を歩きながら見ていた。
おじいさんは赤紙を貼られたご自宅の前で、瓦礫をかたづける手を止めて手招きをした。
道路を横切り、おじいさんのそばへ走った。
「今はまだいい。雨が降ったら、上から押し流されてくる。もっと酷いことになる。」
そう仰った。また、指をさしながら、「もっと向こうに恐ろしい風景がある。」とも。
夕方、たまたまある施設のスタッフの方とお話をする機会があった。
営業をなさっておられたので、「この施設は大丈夫だったのですか?」と、あほなことを質問すると、
「やられましたよ。工場も。なんとか営業できるくらいにはなりましたけど。地震が起きたのが夜中だったのは、せめてもの救いでしたよ。」
「みんな疑ってますよ。もう一回デカいのが来たら自分家は壊れるって、持ちこたえられないって思ってますよ。だから車中泊してるんですよ。」
「テントだって、夏が来たらどうなるか。タープはあっても、あれだけ密集させていたら風は通らないですよ。」
おじいさんにしても、スタッフの方にしても、これらの事を話したからどうにかなるとは思ってはいないだろう。
しかし、言葉として口に出す事は、ほんの少しかもしれないが、ストレスの軽減になるのではないだろうか。
募金でも、治療でも、ケアでも、作業でも、炊き出しでも、支援物資でも、話を聴きにいくでも、なんでもいいと思う。
偽善行為でも、売名行為でも、なんでもいいと思う。
「何かしなくては」そういう気持ちが起こったら、動けばいいと思う。
ただ、無責任な事をいうつもりはなく、最低限のマナーであったり、ガイドラインは守った上での事だが。(あと、募金先の団体は調べて納得した上で。)
15日、南阿蘇での活動を終えた後、阿蘇大橋の近くまで連れて行っていただいた。
当然のごとく立ち入り禁止のテープが貼られ、先には進めなくなっていた。
あの赤い橋は、本当に無くなってしまっていた。
せつなかった。
梅雨になれば、中途半端に崩れているところが流れ落ち、土砂災害が起こる可能性がある。(おじいさんが仰っていたのはこれだと思われる。)
素人目にもそう見えるのだから、専門家や、その場に暮らす方々はもっと察しているだろう。
いつ壊れてくるかわからないけれども、いつか必ず壊れる。そういう中で日常をおくらなければならないことは拷問のようなものだ。