出来ていないと反省しつつ、どうにかしたいと思うこと。
「勘違いしてはならない。
自制心という言葉を知っているだけで、なにがしか自制できているわけではない。
自制は、自分が現実に行うそのもののことだ。
一日にひとつ、何か小さなことを断念する。
最低でもそのくらいのことが容易にできないと、自制心があるということにはならない。
また、小さな事柄に関して自制できないと、大きな事柄に関して上手に自制して成功できるはずもない。
自制できるということは、自分をコントロールできるということだ。
自分の中に巣くう欲望を自分で制御する、欲望の言いなりになったりせず、自分がちゃんと自分の行動の主人になる、ということだ。」(by F.W.ニーチェ)
あぁ、耳が痛い。と思う。
そういえば、目で見ているだけなのに、耳が痛いなんておかしな話だ。
綺麗な自然風景を眺めていると「心が洗われる様だ」などど口にしてしまうけれど、心なんて洗えるものではない。
おかしな話だ。
人間、悩むことが多いとは言うものの、悩む原因って、こんなおかしな話から派生していたりするのかもしれない。
一人で勝手に悩んで、勝手に苦しんで、勝手に痛い思いをする。
ちょっと離れて眺めてみると、どれだけ自分は滑稽な人間なんだろうかと可笑しくなることはないだろうか。
悲劇の様な喜劇と喜劇の様な悲劇は、どちらも同じかもしれないし、違うかもしれない。
個々人の捉え方の違いでしかない。
何が正しいかなど、実のところ誰にもわからないのではないだろうか。
人は、真実や正しさを追求するのが好きだけれども、実際のところ、誰にもわからないものを追いかけているだけなのかもしれない。
いや、ただ追いかけているというパフォーマンスをとる事で安心したいだけなのかもしれない。
何かを断念する事よりも、何もしていない事に不安を感じる人の方が多いかもしれない。