産みたいけど産めない。という視点から。
昨日の藻谷氏の講演の一部よりピックアップ。
「少子化対策は、産みたかったけど産めなかった人に聞くべし。」
わたくしも、そのカテゴリに入りそうな一人です(笑)
子供を授かり、自身の体内に生命を感じ、そして世の中に生み出す。
これは女性だけの特権だ。
なんと喜ばしい。ああ、なんと羨ましい!
しかし、現実的にはどうだ?
出逢いがないと言いながら、自分磨きと称し、同性ばかりが集まるようなお稽古事に精を出し、
失敗をおそれ、自分の世界へとひた走り(←これ私)
快適な生活水準を下げる事が出来ずに、
「お金がないから結婚できない。」とか。
「お金がないから子供なんて無理。」とか。
そうして少子化に拍車はかかる。(これだけじゃないけど)
確かに、経済の問題は大きい。だいたいもめ事は、お金が無くて起こる。
余裕がないとギスギスしてしまう。
昔の方が、よほど所得は低かったはずなのに、何がそうさせてしまったのだろうか?
そういうことも歴史の流れを見るとわかるのだろう。
さて、藻谷氏によれば、
「親はなくとも子は育つ。子供は社会が育てられる。」
「子供が増えると言うことは、マーケットの拡大であり、将来の我々を支えてくれるものである。」
「何故それがわからないのだ?なぜこのわかりきった問題を40年間も誰もが放置してきたのだ?」と。
確かにそうだ。しかし、それには、「性」というものがタブーとされていた背景もあるのではないか?
日本人の奥ゆかしさとも言えますが。「秘め事」とも言いますし。
そうなのだ。生と死。エロスとタナトス。一番大切なこと、核心には、目をそらしてしまいがちだ。
すごく興味はあるのに、見たいような、見てはいけないような
なんだか人には言えないような、言ってはいけないような・・・。
おっと、ずれてしまった。
ざっくり申し上げれば
「産みたいけど産めない。」は経済面が大きい。そして後は精神面。
色々な意味でやさしい社会になってほしいものだ。
そして機会があれば、是非とも私も子供を産み育ててみたいものだ。
ニーチェと同じ時代に生きていれば、「私はあなたの子供を産みたい。」と彼に言っていたかもしれない。