長生きという偶然の結果
「ありとあらゆる健康法は、長生きしたという偶然の結果から逆算して語られているものである。」
そんな話を聴き、目から鱗が落ちた。
また、「本当に消耗している人にとってはありとあらゆるもの、例えば励ましの言葉でさえも負担にしかならない。」とも。
とある先生の連載の話である。よくホスピス等にも往診に行かれていたと聞いたことがある。
確かに、もう死を間近に迎えておられる方には、何も出来ないし、何の声がけも出来ない。ただ、側にいることしか出来ない。
しかし、大体はご自身は亡くなるなんて思っていらっしゃらない場合が多いような気もする。(いや、本当はわかっていらっしゃるのかもしれないし、お薬でわからなくなっていらっしゃるだけなのかもしれない。)
ここ数年、私の周りでも公私ともに亡くなる方は増えており、例えば遠い所に住む親戚等なんかだと、次会う時はもうお葬式だろうという事もある。(これは会うと言って良いのだろうか?)
人間、何もしないのが一番。そのように言われたことがあったが、そうかもしれないなと今は思える。
日本の医学の主流は西洋医学である。(そんな事言われんでもわかっとると言われそうですが。)
痛みや不調が起こった時に、それらに対処をする。
また、そういう状況に陥らないようにと、様々な健康法や健康食等を学び実行していらっしゃる方は多い。
皮肉にも聞こえてしまうかもしれないが、健康法などと呼ばれるものは全て元気な人のものなんだなぁ…としみじみ思う。
では、私の仕事とは何なのか?
その様に考えた時に出た答えは、「養生」を勧める事と、日々の変化をみながら患者さんのメンテナンスをする事であった。
そう、減りゆく蔵の気が極端に減らないように、その方がガタガタと崩れないように注意を払うことなんだろうなと。
そして私も、ゆるゆると年を重ねて弱っていくのだろうな。
とりあえず…毎日お白湯飲んで、そしてしっかり睡眠をとろう。
そのようにひとり思う、そんな冬の日曜日だった。