独居老人と認知症と鍼灸
「はっきりしていることは、大人たちは、子供とはどういうものだったのかを忘れてしまっていることだ。」(−ランダル・ジャレル−)
大人は昔、みんな子供だった。(映画『ベンジャミンバトン』のような例は別ですが)
だけど、そのことを忘れてしまっている大人は多い。
様々なプロセスを通過したうえで、現在に至っているということを人は忘れてしまう。
日々の積み重ねが現在であり、それが未来へ繋がっていく。
人間は年を歳をとり、やがて死に至る。
だけど、それを自分の身に起こる事として意識しながら生活している人はいない。
元は実業団に所属していた選手で、現在は様々なアスリートへ身体指導なさっておられるトレーナーさんのお話しでは、
「年齢を重ねる毎に、自分の頭のなかでイメージする身体の動きと、現実の身体の動きにズレが生じてきている。」とのこと。
人間は衰えていく生き物だと理解っているはずなのに、なぜか現在以上にパフォーマンスがどんどん上昇していくという勘違いを信じて生きている人は多い。
むしろ、出来なくなることの方が増えるのだから、いかに頭を使って効率的に動いていけるようにならなければならないかを考えた方が、「出来ない」という事に対して生じてくるストレスを減少させる事ができる。
少子高齢化は進んでいる。
登りきったからこそ、あとは下がっていくしかない。
出生率のピークがあったのだから、あとは減少していくという事はわかっていた。
そして、その時の子供はどんどん歳をとっていくという事も、当たり前にわかっていた事だった。
人は必ず歳をとる。
私ごとで恐縮だが、10数年先、50代の自分を想像して、酒量を減らす事、睡眠時間を増やす事、自分への鍼灸治療の継続と、新たにピラティスをはじめて身体を整える事にした。(ボルダリングはちょっと通うのが大変なので、通いやすいエリアにあるピラティスにした。)
人はいつ死ぬかわからない。
もしかしたら、明日死んでしまう可能性だってある。
現に、40〜50代の働き盛りの方の心筋梗塞は増えているし、突然起こる原因不明の症状に見舞われている方もいらっしゃる。
「私だけは大丈夫」
そんな根拠のない自信に溢れている方もいらっしゃるが、小心者の私には、そんな自信はとうてい持てそうにはない。
「認知症は精神の死である。」
井上系経絡治療の体系を整えた、故・井上雅文先生の言葉である。
私も含めて、パートナーを持たずに生活している人は多い。
寂しさゆえに、面倒な人間関係に巻き込まれては愚痴をこぼす方も多い。
周りに人が多いからといって、孤独では無いとは言い切れるのだろうか。
物質的・経済的に恵まれている事だけが豊かさをあらわしているとは言えない。
そんな事が、とっくにわかっているからこそ、断捨離やミニマリズムが流行るのだろう。
高学歴で裕福な家庭のお子さんが、新興宗教に何かを求めてハマってしまうのも、ある意味満たされないものがあったのではないだろうか。
いくら物があっても、ずっと心は満たされない。
人間関係の貧困は、どんな社会を作り出すのだろうか。
《参考として》
・総務省統計局「人口ピラミッドから日本の未来が見えてくる!?」
http://www.stat.go.jp/info/today/114.htm
・終活ねっと
https://syukatsulabo.jp/article/1886