人は弱いものであり強いものである。強いものであり弱いものでもある。
東洋医学というか古い中国医学では、「気」という目に見えない概念に重きを置いている。
「気」というものは、生まれた時から常に消耗し続けていく。
生まれた時はめいっぱい「陽」の「気」を持っているが、それはどんどん減っていく。
「陽」から「陰」の方に徐々に傾いていき、完全に「陰」に偏ってしまった時、それが「死」である。
「温かい」方から「冷たい」方へ。
「軟らかい」方から「硬い」方へ。
人間は、父母から分け与えられた「先天の気」だけでは生きていけないから、「後天の気」を取り入れながら生き長らえていく。
「後天の気」とはわかりやすく言えば「天の気」大気中の空気と「地の気」食べ物。
しかし、それは外側のこと、つまり身体という容れ物のことである。
その容れ物は、常に後天の気を摂取し続けなければ保たれない。
容れ物である身体は「精」と呼ばれる。
外側は大事だが、もっと大事なのは中身であり、それは「神」と呼ばれる。
「神」を保つために必要なものは人と人との関係性である。
「先天の気」を持ち、この世に生み出された人間は、乳を飲みながら「精」を養い、親や兄弟、家族、親類等々、とにかく面倒を見てくれるものによって「神」を養う。
「精」と「神」は二つで一つ。
その「精」と「神」は「五蔵」と呼ばれる「気」の中にそれぞれ存在する。
「五蔵」とは「肝」「心」「脾」「肺」「腎」という臓器のような名前の付いた概念である。
(東洋医学の名称が、西洋医学が日本に入って来た際に、「おっ、これって見た目も働きもなんか似てるからさ、当てはめちゃおうぜ」みたいな感じで当てはめられてしまったことが混乱の元なのだという。注:こんな軽い感じではなかったと思います。)
その五臓が、身体の奥深くで静かにバランスを保ちながら人間は生きて行く。
人は消耗し続ける生き物である。
そして孤独では生きていけない生き物である。
陰と陽はそれぞれがあるから存在できる。