お盆と健康と鍼灸
今年もお盆が過ぎた。
年々、ご家族の初盆という方が増えているようにある。
初盆を迎える事で、家族の死を現実のものだと認める事になってしまうので、出来るものなら帰りたくないと話す人もあった。
それを聞いて、なんとも声のかけようがなかった。
出不精の自分ではあるが、挨拶と称し、少しだけ顔を出したところもある。
少しというものの、結局は酒盛りになってしまい、祭壇のそばでひっくり返ったまま、冷房の寒さで目をさますという相変わらずの失態もあった。
家族も少ないところなので、軽く掃除をして帰る事にして、とりかかること3時間が経過。
断捨離と言わんばかりに、あらゆるものを捨ててきた。
帰らぬ人の、もう使われないものを。(とは言っても、だいたいが賞味期限切れの食品やら、溜まった割り箸・スプーン等が主)
本当に大切なものは、失ってしまってから初めて気がつくように出来ている。
「健康」などは、その最たるものだろう。
なんせわからないことばかり。
糖尿病患者が、どんどん悪化していくのは「痛みなどの自覚症状がないから大丈夫だと思っていたら…」という、無自覚から引き起こされるものだという。
だいたい、お腹周りが肋骨よりも縦横共に幅広で、右の橈骨動脈が浮いている人は糖尿病の気があるというが、やはりお話を伺っていると「やっぱり…」と思うことが多い。
そして、ストレスフルでもある。
かといって、そんなに深刻でもなく、メンテナンスの必要性も感じてはいない。
そういえば、ここ最近「マインドフルネス」という言葉をよく耳にする。
医療機関に勤務する知人も、研修を受けたりしているらしい。
その内容を伺ってみると、受講して、その後帰宅して実行し、その感想をレポートにして提出するようだ。
確かに、「ストレスで人が死ぬ」という事に現実味を持つと、非常にそのストレス回避法というものの重要性もわかる。
しかし、「マインドフルネス」以前の「マインドワンダリング(心の迷走状態)」に注目する人はどれくらいいるのだろうか?
ストレスがどのように心身に影響を及ぼすのか?
そもそも、ストレスとはどのようなものなのか?
「健康」を保つということも、そう。
目に見えず、その存在がわからない。
しかし、確実にその内側から徐々に蝕み続け、 怪我や病気といった「痛み」や、「冷え」や「違和感」となって、はじめてその存在を露わにする。
東洋医学といわれる鍼灸は、よく「未病を防ぐ」とも言われるが、訪れる人は「違和感」や「痛み」があって初めて訪れるので、全くもって「未病」とは言えない。
結局のところ、お互いが長い付き合いになってしまう。
だからこそ「相性」という、これまた目に見えないものが必要になるのだろう。