日本鍼灸研究会について その2
【医道の日本 第585号(平成5年5月号)1993年 より転載。】
「わが研究会紹介」<24>日本鍼灸研究会 代表 篠原孝市
(続き)
筆者は本会における研究を具体的に二層に分けて考える。
鍼灸自体の認識と方法を学ぶには伝統的な鍼灸文献の整理解読から始める以外にない。
現在行われてる古典的と言われる様々な方法から始めないのは、それらの根底にある古典的意識というものが筆者等の望むほどには確実な基礎に立っておらず、混乱すらしていると考えるからである。
残念なことに近代以降に創成された様々な擬古典的鍼灸は、過去の鍼灸の全体を踏まえて形成されたものではなく、創成当時の時代的制約と当事者の興味に基づく強い取捨選択により方向性が定められている。
そこで『素問』『霊枢』『難経』等の原典の内容と1940年代にわが国で作られた経絡治療が二千年の時を越えて併存するかとおもえば、現代中医学と江戸期の後世方医学が脈絡もなく同居していたりする。
そのためそれから学習を始めても、一度そこで主張されている<證>や<六部定位脈診>、<八綱>や<得気>の根拠を問い始めると、疑いはとめどなくなってしまう。
こうしてみると筆者等の研究は、鍼灸の根拠を再度古典に求めていくという試みともいえる。
とはいえ、近世までの鍼灸の種々相を研究するだけでは、具体的な現在の臨床の問題には到達しない。それどころか、現代の臨床とかけ離れたところでサイクルをえがいてしまう。
<医学思想史>と<臨床>が相互不可侵のまま握手する。筆者等はそうした道は採らない。
そのためには現在の臨床方法を修得し、それ自体から出発する必要がある。